八代宮

八代宮について

八代城跡内にあり、南北朝時代の征西将軍懐良親王(かねながしんのう)および良成親王(りょうせいしんのう)が祀られています。

八代宮はもともと八代城として築城されました。その後、明治3年に八代城が廃城となると、地域住民の熱心な要望により、明治17年八代宮となりました。

「八代城跡」イメージ

八代城について

八代城は、歴史上3回築城されました。最も古いものは南北朝時代に名和氏が築いた山城で古麓城と呼ばれるものです。この城は名和氏の後、相良氏も本拠地として使用しました。その後、天正16年(1588)には小西行長が南肥後の国主に任じられ、この時に古麓城に代わって海岸沿いに麦島城を築城しました。小西行長が関ヶ原の合戦で敗北した後には加藤清正が肥後一国を治め、八代城は熊本城の支城として機能したのです。

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歴史について

明治維新後、南朝の功労者を祀る神社の創建運動が各地で起こり、八代の住民からの再度の請願により、八代宮の創建となりました。

八代宮は熊本県八代市西松江城町に位置しています。旧官幣中社(現、別表神社)です。 後醍醂天皇の皇子、懐良親王を主祭神とし、後村上天皇の皇子、良成親王を併せ祀っています。両親王とも南北朝時代に征西大将草として九州に下向され、当地で活躍し薨去されました。 当社を俗に「将軍さん」と呼びます。

「八代宮」イメージ

明治維新後、建武中興の功績者を神社に祀る機運が生じ、後醍醐天皇の勅命を受けて西方で活躍された親王のうち、護良親王は鎌倉宮(鎌倉市二階堂)に、宗良親王は井伊谷宮(静岡県引佐町)に祀られたのに引き続き、当社の創建となりました。

八代宮の歴史

興国3年(暦応3年)
1340年
懐良親王は九州に下る際、薩摩の山川港に到着、土地の豪族である谷山五郎隆信の居城に迎えられました。
ここに先ず征西府を開き、御所の原はその遣跡といわれます。
正平2年(貞和3年)
1347年
懐良親王は御所の原から海路を肥後に向かわれ、菊池氏の隈部城(菊池城とも)に入られました。
明治8年・13年
1875年・1880年
現社地は八代城跡で、懐良親王の居城であり、また御墳墓に近い由緒ある地であるところから、住民有志の再度の請願がされました。
明治17年4月 再度の請願により四月に至って鎮座の儀が行われました。
明治19年1月 月良成親王を配祀。例祭八月三日。

鹿児鳥県谷山市慈眼寺公園頂上に鎮座する谷山神社は、昭和三年懐良親王を追慕して創立されたもので、同六年県社に列せられました。
例祭は春が四月二七日、秋が一二月一日。

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境内のご案内

境内の様子を写真でご覧頂けます。画像をクリックすると拡大表示されます。

「夫婦松」イメージ

八代宮の見所「夫婦松」

夫婦松とは、八代宮の神門の前にある二本の松のことを言います。
この下をくぐると「二人は結ばれる」とか「夫婦の絆が強くなる」と地元では言われています。縁結びの祈願として、お参りする人も多いです。


八代宮の四季「春」

春の八代宮は、満開の桜が出迎えてくれます。
表参道には桜のトンネルができあがり、お堀と桜のコントラストも美しく、風景に華を添えます。

「八代宮の春」イメージ


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交通アクセス

八代宮

八代市松江城町7-34
[TEL] (0965)35-2448

交通手段

セレクトロイヤル八代から徒歩5分
[ 車 ] 九州自動車道八代ICから八代港線経由15分
[ JR ] 八代駅からバス15分八代宮前下車すぐ

「八代宮」イメージ

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